Friday, October 23, 2009

day off

暇だねーってよく言われる僕
言われると確かにそう思う
気がつくとなんだか罪悪感
感じてる自分こそなんだ?
そもそも暇って言葉自体、まずいい意味では使われない
辞書で暇って引いてみた、これもまあ、暇のなせる技
暇 自由な時間、義務や仕事に拘束されない時間
確かにその人にしてみれば、僕は暇に違いなかったが、
その間、僕はテレビを見たり、ファミコンしたり、本を読んだり、時間について考えたりしながら、僕は僕の暇を過ごしていた
そんな暇あったら、って言うが、みんな暇はキライなのか?  暇はダメか?  悪いのか?
そんなにイヤか暇が?

超忙しくって、もう暇が無くってとか言ってる人に限って、さらに忙しい休日を過ごしていたりするだろう
何故忙しくするのだろう、何もしないでいられないのだろう、
何もしない不安、それは何だ?
怖いのはただただある時間
縮めることも延ばすこともましてや消すことも不可能
全ての者に同じだけの時間が与えられてるとしよう
そうなってくると恋愛、ファミコン、仕事、その他もろもろ、、、
かなり思いがけないことだが、人は必死で暇を潰してるだけだ
んー、じゃあ僕らみたいな暇にみられがちな人たちが、見下されてる気がするのはどういうことだ?
ぱっと見、生産的なもの以外は無用だとでもいうのか?
あんまりだ、それはちと強引だ、急がしポッセはいつもこうだ

本来、人は暇だった、そして、それを受け入れることができた
世界中の至る所、その足跡を見つけることができるだろう
大仏、ピラミッド、巨乳、万里の長城、この世の多くのでかいものの発想自体は暇の賜物
地図を作ったやつのゆとり、並大抵のものではあるまい
閏年に気づいたヤツの暇さ加減を想像してみろ
また、かつて海の塩分を1%上げようと、何千㌧もの塩を集めた男がいたとかいないとか、、、
他にも、奇行・愚行の結果、最終的には何も残さなかった多くの愛すべき暇人たちがいた、だろう、たぶん、な
これらのことからもはっきり言える、今の人が暇を受け入れることができなくなりつつあるなら、それは能力の減退だ
減退はいかん、くいとめるのだ
暇人どもよ立ち上がる時だ、暇を見つけて、暇を知れ、暇を生き抜く強さを持て
一生棒に振るぐらいの暇とゆとりを持って進もう
人の数だけ暇はあるのだ、それこそ当たり前のことなのだ